こそあど記録 〜 いろいろおきらく、じっさいごくらく 〜

本業は育児。ワーキングマザーでしたが、会社を辞めて専業主婦へ。家事、育児をはじめ生活の記録

ステージ4での5年生存率は関係なかった

そう言えば、母の闘病が始まった頃、インターネットで必死に闘病ブログを探しては読みまくってました。同じ病気にかかりながら元気に生きている方の闘病ブログを見つけて励まされたものです。

今、母の実績もかなりお役に立てると思います。

 

母の闘病の始まりは、肺がんでした。60代前半。わかった時点ですでにステージ4a。そのステージだと5年生存率が5%程度だったかなあ。

 

ところが治療を始めた母は5年を超えても元気ピンピンで、10年を超えても肺がんが生命を脅かすことは一度もありませんでした。ある時からピタリと進行が止まりました。

 

結局、2015年にもう一つ大きな病気が見つかり「この病気になった人は、発病してから平均して予後(余命)1年です」と言われた、その病気で亡くなりました。余命1年と言われながら、きっちり2年生きたのですが。

 

という訳で、肺がんに関しては、ステージ4aで始まった闘病生活ですが、誰にも癌患者だとは気が付かれずに元気に過ごした母です。ハワイのダイヤモンドヘッドにも登ったりして。

 

何が良かったのかな。

ひとつは病院の選択です。治療に当たっていくつかの病院を回りましたが、こんなとこいやだって思える病院というかお医者さんもいらっしゃいました。大きな病院であっても。 

 

母の場合は、もともと血圧が高かったりしたので、ずっとかかっていた主治医がいたのですが、その先生には肺がん4aになるまで見つけてもらえず、咳が止まらないのは変だと自覚症状を訴えて半ば強引に調べてもらい、ようやく見つかりました。すでに肺にはたっぷり水が溜まっていました。

 

のちに治療を始めた病院で、ここまで進んでいたら胸に聴診器を当てて音を聞けば異変には気がついたはずだ、と。

 

内科だったら聴診器あててたでしょうに、あの当時の主治医さんはどうして気がつかなかったのかな。

 

母に「ごめんなさいねえ」とあやまられたそうですが、あやまってもらっても時が戻るわけでもなく。信じていた先生だからって、こうして見逃されることもあるので難しいところですね。

 

 

もちろんその見逃した医者とはその時点で決別。その医者のせいで命を落とすなんてごめんですから、頼れるお医者さんを探し家族一丸となって治療をスタート。

 

転移や再発に緊張が走りながらも、そのおかげで家族がまとまった。そしていつの間にか、肺は変化なし(進行してない)ですよ、と言われ続けるようになっていました。

闘病生活の全ページが家族全員の濃い思い出です。