こそあど記録中

小学生の子を持つお母さんで音大生。育児、教育、ピアノのことなど。

個性って不思議

我が家の子供を見ていると、個性ってどうやって育まれたのだろう?と不思議に思う。この場合の個性とはファッションについてなのだが、子供がまとうお洋服は幼いうちは親を中心とした大人が買い与えていて、幼い子供自身が選ぶといっても「これとこれどっちがいい?」と提示されたいくつかの選択肢のなかから選び取る程度。

 

例えばスパゲティ屋さんに行き、どのスパゲティがいい?と聞く、というような感じ。いったい何料理が食べたい?とまっさらな状態で問いかけるのではなくて、スパゲティ屋に行くところまでは大人の思惑で、その中で子供に選ばせるというような。

 

だから、親の好みだとか「この子にはこういうのが似合う」という思いが基本にある。その範囲の中で子供自身に色とか柄などを選ばせているので、大人が子供の個性を誘導しているような感じ。カエルの子はカエルというように親のファッションの背中を見て順調に育つのかなと思っていた。

 

さて私の場合、幼少期はおさがりか、母の手作りのお洋服がほとんど。それを適当に自分でコーディネートして着ていたのだが、当時の写真を見ると「どこのモードガールだよ!?」と言わんばかりの個性の光るファッションでした。ところが、せっかくのそのセンスはまったく育まれておりません。自己肯定感とともに低空飛行のまま大人になってしまった。

独身の頃はそれなりにファッションを楽しんでいたような気がするものの、育児中心の生活を送るようになってからはファッションへのアンテナはさっぱり。そしてそのことを謙虚に受け止めて無難な保守的なファッションで生きてきた。そんな私が選ぶお洋服で子供は順調に育ってきたわけだ。

 

しかも子供のお洋服を買うときには子供を連れて行かずに子供服売り場のお姉さんと「これはどうですか?」「あらかわいい、それにします」で決めていたような感じでもあった。子供はファッションに弱い私が謙虚に選んで買ったお洋服を自分で組み合わせて生活。それでも十分「かわいいー。新しいお洋服を買ってきてくれて、ママありがとうー」と喜んでくれていたので、このままコンサバで育つのだろうとまで思っていた。

 

 

 

ところがある時、小学校にあがろうかという時だったか、子供のお洋服を買う時にたまたま子供が一緒にいた。私は迷わずいつも子供に買っているお店へ直行し、これがいいかなと選んでいたら、子供がちょろちょろと私のそばから離れていく。そしてほかのお洋服屋さんに入っては1枚1枚丁寧に見て、また次のお店、そしてまた次のお店と隅から隅まで楽しそうに見ている。私、ついていくだけ。

 

子供がひとつひとつ全店舗を見たあげくに、「とても気に入ったお洋服をみつけた」と言った。そして連れていかれて「これがいい」と見せられたのは、それまでまったく私の目に入ってこなかったブランドのお洋服で、私だったらきっと一生この子のために選ばなかったであろうもの。色彩豊かで、おしゃれ上級者のお洋服という感じで、質も良くて、へえこんなお洋服があったのねって、私が保守的に選んできたお洋服とはまるで違った。本当にびっくり。本人が気に入ったというのだから試着させてみると、あらまあ不思議、とっても似合う。

 

私が与えてこなかったテイストのものだし、夫のセンスとも違う。あまり周りのお友達ともかぶらないファッションなのだけど、いったいこのセンスはいつのまに芽が出て育っていたのか。まったく不思議でならない。

 

2人、3人と子育てをしている友人が「同じように育てているのに、まったく違うタイプの子供に育っている」というようなことを言っているけど、タイプとか個性とかって、もしかして、育て方じゃないのかも。

 

我が子のお洋服は、それを境に必ず本人と一緒に選びに行くようにして、質が良いものなのか、サイズはどうかという親目線でチェックすべきところだけを私がチェックして買うことにしている。

 

自分が気に入ったお洋服だととても上手にコーディネートして上品に着こなしているし、お気に入りのお洋服をまとっていると気持ちがウキウキするようで、表情がキラキラしているのが何よりいい。ファッションって大切なんだなと思った。子供のおかげで私のファッションも「なんでもいいや」期から抜け出しつつあります。